爪がすぐ伸びる話

私は爪を、風呂上がり、もしくは車の中で切っている。

 

風呂上がりに切る爪はやわらかくて切りやすい。変な割れ方もしないし、おすすめだ。夜に爪を切ると親の死に目に会えない、という迷信もあるが、私は父の死に目に会えているので大丈夫である。ただ、念の為、切る際にはできるだけ明るくして、手元を謝らないように気をつけたい。

 

車の中で、というのは、出勤時に早く会社の駐車場に着いた場合、そこで切っている。朝の車の中は明るいし、切りやすい。車の中には何の因果か、亡くなった父が使っていた爪切りがある。(どういう経緯でこの爪切りを車に持ち込んだのか忘れたが、古い割にしっかりした作りのため、使っている。)

 

最近、切る頻度が多くなってきた!?と感じている。

一方で、これは私の体内時計が老朽化し、体感時間が早く過ぎているだけである可能性もある。ちゃんと爪を切る周期を決めておけばいいのだが、そんなことはしていない。キーボードを打ちづらくなってきたな…とか、布団や服に引っかかるようになってきたな…という感覚も大事にしたい。こういうしょうもないことが、なんとなく、生きているということを実感することに必要な気がする。

 

要は何も考えずに爪と、自身の体と向き合っているという話だ。12月もあっという間に半分が過ぎた。まずは健康に冬休みを迎えたい。

貰い物のお茶が美味すぎた話

先日、妻の実家からお茶(緑茶のティーバッグ)をいただいた。

私はよく温かいお茶を飲むため、単純に”ありがたいな”と思った。私がよく飲むのはおーいお茶のティーバッグで、これでもスーパーに置いてある商品の中ではクオリティが高い方で、買うときはいつも”ちょっと高いけど、これにする”と小さな決意が要る。

おーいお茶は美味い。苦味も甘みもあるし、飲むと安心できる。

 

貰い物のお茶は、安心できなかった。美味すぎて目が冷めてしまった。

外装から取り出した途端、色がとても良かったし、お湯を入れたときには”アロマか?”というくらいうっとりする香りだった。

味は苦味が少なく、どこかの客先で出してもらったような外行きの、おいしいものだった。

普段のティーバッグでも2杯は使うケチな私なので、これは4杯使った。それでも香りはよかった。

 

このいただきものは落ち着きたいときに飲むものではないな…と思った。仕事を始めるときや、イライラが募ったときの特別用にしよう。落ち着きたいときはいつもの味がいい。と思いつつ、いつも飲みたくなってしまうのかな…これだから貯金が進まないんだよな…と絶望も感じているよ、という駄文でした。

娘と本屋に行った話

日曜日に1歳半の娘と2人で本屋に行った。

家の中ではテクテクと歩いている娘だが、衛生面のことを考えて”抱っこでいいか”と、抱っこひもはなしで、財布・携帯・鍵・おしりふき・替えのオムツ1枚だけ持っていった。

 

私は買いたい本が1冊あったためそれを手に取る。娘にも気に入った絵本があれば、とブラブラした。

店内を5分ほど歩いただろうか、娘を支えていた左腕がすでにプルプルしていた。いつまでも軽いつもりで考えていたが、落ち着いて考えれば娘はまもなく10kg。普段なんの運動もしていないガリガリに支えられる重さではない。

 

娘にはとりあえず反応が良かったものを1冊買った。レジでの腕のプルプルはおそらく他の人から見てもわかるくらいだった。

一見ほほえましいエピソードのようだが、自分の情けなさと、娘の成長を冷静に見れていなかった反省を感じた。

 

幸いにもその1冊は娘にハマり、抱きかかえながら寝ている。自分が選んだ1冊よりも、ふと読んだ本が気に入ることはある。そういう1冊になったのだ、その本とは縁があったのだ、と自分に言い聞かせているよ、という駄文でした。

風呂用のメガネをいつまで使えばいいのか分からない話

私は古くなった眼鏡を、日常使いとは別に、風呂用として使っている。

ガラス面のコーティングが所々剥がれ、少々曇って見えるくらい古くなっている。

 

日常用のメガネは4本あり、仕事やお出かけなど使い分けている。一方でこの風呂用のメガネはもう10年ほど風呂〜寝るまでの時間ずっと、毎日使用している。

 

先日、1歳半の娘に風呂用のメガネを踏まれた。なんの損傷もなかったのだが、よくよく見てみると(娘に踏まれたことが原因ではないと思われる)、フレーム部分にも剥がれ、傷、割れがたくさんあった。

”そろそろ捨てどきか”と思う部分もあるが、正直”踏まれるなら完全に壊れてから捨てればいっか”と思うきっかけになった。

 

こういう”雑に扱ってもいいもの”を、一番多い頻度で使ってしまう。高額でよく見えるメガネこそたくさん使うべきなのに。使うことがもったいない、という減価償却とは違うベクトルに進ませる価値観を持ってしまっている人は、私以外にも結構いるのではないだろうか。

 

風呂用の曇ったメガネをかけて書いた、駄文でした。

娘にドアラを覚えさせた話

私は中日ドラゴンズファンである。中日は他球団に比べて人気がないイメージがあるが、マスコットキャラクターのドアラは一時期大変な人気であった。

中日ファンとしては球団に関連するものが注目されることは嬉しいし、ドアラのグッズがたくさん出ることも楽しみであった。

 

現在1歳半の娘が生まれたとき、私の母からドアラのぬいぐるみ(おしゃぶりがついているベビー用)をもらった。生まれたての頃は当然認識していないから雑に扱われていたのだが、今頃になって「だーら(ドアラ)」と発音し、認識し始めた。

これは私や妻が「ドアラいいねえ」「(テレビ・広告などで見かけるたびに)ドアラだ!」など刷り込んでいた成果ではないか。

 

今日などはドアラの印刷されたお茶のパッケージをもって「だーら!」とはしゃいでいる。ぬいぐるみに対しても”だーら”であることはわかっていると思うのだが、イラストなどハッキリ輪郭がついているものがいいらしい。

 

一般名詞とは別に、娘が現在認識しているキャラクターは、ぱんまん(アンパンマン)と、だーら、である。

娘の視点は置いておいて、中日ファンの親として、最高の教育ができているのではないだろうか。アンパンマンが先であったことは日本に住んでいる以上避けられないため、これはこれで良い。

 

親バカであり、野球観戦バカである私の備忘駄文でした。

枕元が充実すると安心する話

私は今、妻、1歳半の娘と、いわゆる川の字で寝ている。

そんな私の枕元には、延長コード→充電器→スマホ、サブのスマホニンテンドー3DSAirPods、電気あんか、そしてメガネ、とかなり充実している。

(文字にすると多く見えるが、枕元の狭い範囲にも十分置ける量だ。ごちゃごちゃはしているけど。)

 

1日を終え、寝る前というのは一番安心する。おつかれさま、自分、という感じだ。

そんな寝床になんでもできる状態が整っていることが楽しいし安心する。

何か非常事態が起きてもスマホがあれば大丈夫だし、目が覚めてもDSでゲームができる。AirPodsで娘を起こさずにラジオも聞ける。最高だ。

電気あんかは冬のお供で、寒がりの私には、仮に使わなくともこれが近くにあることで安心する。

 

娘と一緒に寝ることは、辛いことが多い。夜中におむつ交換や、水分を与えることもまだ多く、起こされる。それでも、ふとした瞬間に目に入る寝姿には癒しを感じる。

年末年始は保育園も休みだ。1週間ほど育児に追われる形になるだろうか。そんな機関においても”癒し”と言っていられるかどうかは、また別問題だ。

今週のお題「最近あったちょっといいこと」から、元上司に声をかけられた話

今週のお題「最近あったちょっといいこと」

 

私は働くことがものすごく嫌いだ。32歳にして2回転職をしているが、どちらも職場への不満のほか、ただ”休みたい”と思ったことが要因としてある。

 

仕事を辞めると決まったときの快感はすごい。あらゆる責任、溜まっていたタスクが一瞬にして消え、視界がはっきりし、世界が美しく見える。大げさな表現だが、本当にそうなる。転職経験者にはわかってもらえるだろうか。

 

そんな私でも家庭を持った今は、毎日嫌々働いている。残業も大嫌いだ。だから日々できるだけサクサクとタスクをこなすし、業務を止めている人にもズケズケと物を言う。

ズケズケと、という言葉が私を表していると思うが、他者を気遣わない様態では出世など全くしないだろう。でももう、いいのだ。毎日仕事をしているだけで偉いと自分を言い聞かせ(妻も私のことをよくわかってくれている。ズル休みしても優しく許してくれる。)、のらりくらりと生きている。

 

タイトルの話に戻る。そんな私でも、前の部署の上司は私を評価してくれていた。それを最近知った。「うちに戻ってくる気になった?山本くんがいるころはよかった。」と声をかけに来てくれた。

これは社交辞令かもしれない。それでも嬉しいものだ。その元上司は私がやる気が無いことは知っていた。一方で、早くタスクをこなし、早く帰る姿も見ていた。

 

どこかで誰かが”私”という個を見てくれていた。それだけで嬉しいものだ。

私は家庭が中心、仕事なんておまけでもない、位に考えいているが、少し、私の人生に職場の色がついた気がした。

(ちなみに、前の部署は猛烈に忙しく、もう戻りたくない。そんな過酷の中に未だにいる上司がただ私を懐かしんでいただけかもなあ、とも思った。)