ティータイムの価値がわかるようになってきた話

31歳までの私は、ティータイムって意味ある?と思っていた。お出かけ途中にするティータイムは休憩として、そこでしか食べられないもの(パフェとか)は食べることに価値があるのは分かっていたが、ティータイムを文字通りお茶を飲む時間として勝ちがあるのだなあ、と32歳の今、やっと分かるようになってきた。

 

今行うティータイムは、娘が眠り、ほっと一息付きたいときに、温かいお茶を飲むことだ。このお茶は少し前に書いためちゃくちゃ美味しいお茶でもいいし、普通のお茶でも、なんなら白湯でもいい。温かいものをゆっくりと口にすることが重要だ。そのなんでもない一連の、ゆっくりとした動きとそれによって感じられる心の平穏がティータイムの価値だ、と感じる。

 

若いときはぼーっとするのはもったいない、本でも読もう!と考えていたし、いまでもそれはそれで正しいと思っている。ただ、仕事、育児とタスクが山積みの中で、もったいない時間を過ごすことも意味があると感じるようになってきた。

 

こういうぼーっとした時間に価値を見出すようになってきたことについて、時分もおとなになってきたな…と感じる一方、ぼーっと余生を過ごすお年寄りになりそうな気もして、ちょっと怖い。

ただ、ゆっくりした時間を過ごすのっていいね、とわかるようになってきたという駄文でした。