娘にメルシーポット(鼻吸い器)を買った話

10月最終週から、1歳半の娘の鼻水が止まらない。

 

先般、耳鼻科で鼻と耳をキレイにしてもらっていたのだが、耳鼻科の先生に「風邪かなー 小児科に行ってみてください」と言われ、小児科では「風邪だね 鼻と耳掃除しっかりやってね」となった。

私たちがやらねばならなくなったわけである。

 

今までそれらの掃除は風呂で、私がやっていた。風呂上がりにも妻が綿棒で拭いている。しかし、鼻は難しい。鼻を摘んで、出口付近の鼻水を取ることはできるが、それ以上は無理だ。

手動(親が口で吸うタイプ)の鼻吸い器は持っていたが、文字通りピアニカのように口と手のタイミングを合わせるのが意外と難しくずっと使っていなかった。

 

そこで電動のメルシーポットというものを買った。まず、うるさい。音がすごい。でも性能は抜群だ。風呂上がりに脱衣所で娘に使うのだが、じゅるじゅると吸ってくれる。おかげでその後すぐ眠りにつく娘の寝息がきれいな音になった。

 

妻は鼻吸い器をあまり良しとしていない。鼻水を取りすぎると乾燥する、という。確かに人間の構造的に必要だから鼻水が出ているわけで、正しいと思う。

でも四六時中ズビズビと不快そうな娘を少しでも助けてやることも必要なのではないかと私は考えている。

 

夫婦2人での育児は、揉める。喧嘩も多くなった。でもこういうことが遠慮をなくし、夫婦として、というより共同生命体になっていく過程のような気もする。

 

とにかく、早く娘の風邪が治りますように。

岩瀬投手が打たれた話

元中日の岩瀬投手は、通算で日本シリーズの失点はない。ものすごい成績だ。

ただ、同じポストシーズンと呼ばれるクライマックスシリーズでは1点だけ取られている。元巨人の阿部捕手からのホームランである。

 

2010年11月22日ナゴヤドームでのクライマックスシリーズも母と見に行った。チケットがなかなか取れず、中日・巨人の両ファンが座る3塁側内野席で観戦した。

 

8回まで巨人が2点リードしていたが、中日は、巨人リリーフ陣の一角をになっていた越智投手から代打の野本選手が同点2ランで追いつく。

それはもう大興奮の場面であった。野本選手の強く引っ張った打球は今でも思い出すことができるし、ナゴヤドームの大歓声にも鳥肌が立った。

(これが野本選手の現役時代のハイライトとも言えるシーンであるのが少し悲しいが、素晴らしい一打だった。浅尾選手との引退試合を見に行った話もまた書きたい。)

 

次の9回表、中日のマウンドは岩瀬投手。私と同じく、多くの中日ファンは「岩瀬なら、まあ大丈夫だろう」と思っていたはずだ。まあ、というのはランナーは出しても点は取られんだろう、という感情を含む。

安心しきってみていると、阿部選手にうまく合わせられてフェンスのすぐ上に入ってしまった。ナゴヤドームのフェンス上段、黒い幕が寂しく揺れた。先程の2ランよりも鮮明に思い出せる。

 

この試合は中日が負けた。残念だ。一方でこのように岩瀬投手ポストシーズンでの唯一の失点試合であり、貴重な一線であったとも言え、感慨深く思い返せる試合を見れたことを嬉しくも思う。

 

試合開始前、3塁ベース付近でキャッチボールをしていた巨人のたぶん、朝井投手を見て母が、「野球選手は大きいねえ」と”何を今更”なことを口にしていたのも何故か感慨深い。子どものようにはしゃぐ親を見れたからだろうか。

 

帰り道、ナゴヤドームから矢田駅までの間、中日ファンは落ち込んでいた。しかし、岩瀬投手を責める人はいなかった。あの場面で岩瀬投手以外の選択肢は無く、みんながそれをわかっていたからだ。負けても納得できる試合、そういう試合をまた見たい。

 

マツダスタジアムを初めて見た話

マツダスタジアムの開業は2009年である。

 

2006年の秋、高校2年生の私は修学旅行で広島を訪れた。初めての広島で、カープの本拠地である広島市民球場を見たかった。ただ、修学旅行はビッチリと日程が決まっており、また自由行動もなく、あまり期待せずにいた。

当時はガラケーで今のようにGPSで自分の位置を正確に測ることができなかったので、広島でのバス移動はどの辺りを走っているのか全く分からなかった。が、アタリのバスガイドさんとも言うべきか、「あの右手に見える建物が広島市民球場でーす。」とあっさりではあるが紹介があった。

ほんの一瞬しか見えず、クラス殆どが話を聞いていなかったと思うが、私はその瞬間を覚えている。あれが最初で最後の広島市民球場であった。

 

次に広島を訪れたのは2016年になるのだが、マツダスタジアムを初めて見たのは2011年の秋である。

 

2011年、大学4年生の私は単位があまり取れず、卒業が危ぶまれる中、福岡へ出かけた。中日対ソフトバンク日本シリーズ第2戦のチケットが取れたためである。

試合の数日後には絶対に落とせないテストがあったが、応援しているチームの日本シリーズを逃してしまうことも人生の中で絶対後悔すると思い、思い切って行った気がする。

新大阪〜博多間には当然広島駅がある。そして新幹線からはマツダスタジアムがよく見えるのである。ぼーっと窓を眺めていると急に真新しいスタジアムの全貌がはっきり見えてきて、”は?これマツダスタジアムじゃん”と驚きと喜びが湧き上がってきた。カメラを準備する間もなく通り過ぎてしまったが、思いがけない初体験に日本シリーズ観戦へのモチベーションも、より一層高まった。

 

福岡での過ごし方、日本シリーズの話はまた書きたいことの一つである。

 

帰りの新幹線は始発で帰ったこともあってカメラを用意する気力が沸かなかった。それでも当時使用していたソニーガラケーで適当にマツダスタジアムを取った。今は起動しなくなりその写真は見られないが、なんとなく斜めで、だけどシャープな輪郭のマツダスタジアムを思い返すことができる。

いつかマツダスタジアムで野球観戦したいものだ。

いつの間にかペットボトルのお茶を買うようになった話

1989年生まれの私は、おそらく高校生になるまでペットボトルのお茶を買ったことがなかった。

 

緑茶、烏龍茶、麦茶、どのお茶をとってみても、それは家で沸かしたお湯に茶葉を入れて作るものであり、買うものではなかった。というよりもペットボトルに入った比較的割高のお茶を買うのはもったいない、と深く思っていた。

 

小学5年生のとき、東京の伯父の家に遊びに行った。家で昼食も頂いた。テーブルにはペットボトルの六条麦茶が並んだ。

私はもちろん、私の4つ下の妹も「お茶買ったのー」と興味津々であった。

味の違いは分からなかったが、”東京の人はお茶もペットボトルで買うのか”と思ったことを覚えている。

 

高校生になると学校の自販機にもお茶は売っているし、体育の授業明けなど普通に買うようになった。今思えば小学5年生からわずか5年で、私の心に深く刻まれていた先入観が勝手になくなっていたことに驚く。

 

今では茶葉から作ることは、ほぼ、ない。妻とともに休みの日にティーバッグで1、2杯飲むくらいだ。日常的に飲むものは2Lのペットボトルを買って飲んでいる。共働きというのもあるが、買って飲むことは楽で安全で、もう当然である。

こういう日常を続けていると、娘はどういう価値観になるのだろうか。今日で1歳6ヶ月になる娘に、飲み物を買うことについて聞いてみたい。

飲み物全般を「ジューチュ!」と呼ぶ彼女にはまだ早すぎるか。

 

山田哲人選手プロ初出場の試合の話

ヤクルトスワローズ優勝おめでとうございます。

 

ヤクルトの主力、山田哲人選手の1軍初出場は2011年11月3日の対中日、クライマックスシリーズ第2戦であった。ルーキーイヤーかつ、レギュラシーズンの出場がない中での大抜擢だ。

 

当時大学生の私は、この試合を母と見に行った。

この時期は大学祭が行われるため授業がなく、大学のある関西から地元の愛知まで帰ることにしていた。その折、母から「チケット取れたら見に行く?」とお誘いがあった。

・私がマザコンであること

・私が野球好きなのは母の教育であること

は、いずれ書きたいこととしてここにメモしておく。

 

中日ファンの私たちはレギュラシーズンよりも盛り上がるナゴヤドームでウキウキしていた。グッズショップではセリーグ優勝グッズを何かしら買った気がする。

試合開始前、ヤクルトのスタメン発表が行われた。”1番山田”2人共、「え 誰?」となっていた。(他球団とはいえドラフト1位の選手に対して大変失礼であるが。)

小川監督は奇抜な采配をするなあと思ったものである。その奇抜さは試合中にもあった。この試合は7回までヤクルト石川選手、中日チェン選手の好投もあって0点進行であったが、8回表、ランナーもいないに石川選手に代打の飯原選手を起用。

私は場内アナウンスを聞いて、「え なんで、ラッキー」と母に話したと思う。チャンスでもないのに好投の投手を変えるのは、以降の守備も考えてあまりないことだ。

しかし、飯原選手の打席結果はホームランだった。

これが決勝点、ではなかったが、奇抜な采配、奇抜な結果にワクワクよりもモヤモヤが心に残る試合であった。

 

翌年以降の山田選手の活躍は皆が知るところである。流行語にもなったトリプルスリーを達成、日本シリーズでは3打席連続ホームランなど超一流だ。

その活躍を見るたびにあの不思議な試合のことを思い出す。

野球観戦に行くと、勝ち負け以上に何か心に残ることがある。今回は山田選手の歴史を垣間見たと、すごいように言い換えることができるが、そうでない試合もある。

 

なにか思い返すたびにそういう試合について書きたい。

京セラドームのフェンスの思い出の話

プロ野球ファンとして、球場のフィールドはとてもワクワクする場所である。

 

学生時代、関西に住んでいたこともあり、オリックスの試合はよく見に行った。また、交通網の関係上、神戸ではなく大阪の京セラドームで観戦した。自宅の最寄駅から梅田まで出、大阪環状線で大正まで乗る。梅田からの大阪環状線ホームにはUSJに出かける人たちも見かけることができ、それだけで遊びに出かけている雰囲気を得られる、とともに、これから野球を現地で見られるというワクワクが、その時点で湧いてきていたのをよく覚えている。

 

普通に観戦するだけでは、まずフィールドに降り立つことはできない。せいぜい、内野席の最前列に出てフィールドと同じ目線に立てるくらいだ。そんな折、フィールドに立つチャンスがあった。就職活動である。

 

京セラドームで大きな会社説明会が開催されることは、大学からのメールインフォで知ったのだと思う。当時、大学3年であった私はまさに就職活動の対象で、しかもまだ内定がなかったため単純に就活をやらねばならなかったのだが、そんなことよりもフィールドに立ちたい、歩きたいという気持ちで参加予約していた。

 

当日、オリックスの試合時よりも人が多く、いつもの入場口も景色が違っていた。そして、ブルーシートに覆われはしていたものの、フィールドに降り立つことができた。そして、今は濃紺色だが、当時は明るい水色であったフェンスに触ることができた。手触りはゴツゴツしていたが、十分なクッション性があり、選手への配慮も感じられたものであった。球場のフェンスをまざまざと触ったのは初めてで、とても感動した。

 

一方、困ったことに、ブルーシートに覆われた京セラドームでは、方角が全くつかめなかった。ホームベースの位置はもちろん、どちらが内野か外野かすら簡単には分からなかった。野球観戦をする方は”そんなバカな、ビジョンもあるし分からんわけないでしょ”と思うだろう。しかし、足元はブルーシートに覆われ、頭上にはブースの表示や会社の宣伝が無数にぶら下げてあり、視界がない状態であると、本当に分からにのである。

 

しばらくして、この会社説明会とは全く関係のない会社に入社した。しかし、就職活動の思い出といえばこれが本当に強く残っている。

京セラドームはその後、芝生の張替えや前述のフェンスの変更などがあり全く装いを異にしてしまったが、それでも同じ場所で今年、オリックス・バファローズは優勝の瞬間を迎えた。バファローズ戦士たちはそこで宙に舞った。

 

京セラドームで舞い上がった中嶋監督を見たとき、そんなことを思った、という話でした。

AirPods(第3世代)を買った話

今月発表+発売された第3世代のAirPodsを買った。

私のガジェット、パソコン遍歴はいずれ詳細に書くとして、今回はイヤホン歴を書きたい。

 

最初にイヤホンを使い始めたのは小学生高学年の時だったと思う。学校で深夜ラジオを聞くことが流行っていたことに関連する。当時は番組内容というよりは”聞いていることで大人になった感じがする”という番組に対しては不純な動機であった。

当時、寝室で両親と妹と一緒に寝ていた私はイヤホンを使ってらジオを聞く必要があった。父が持っていたサンヨー製のラジオを布団に持ってきて、自分で買った900円くらいのイヤホンでラジオを聞いた。

 

次によく使うようになったのは高校生の頃。電車通学の際にはソニーのUSBウォークマンを使っていた。(中学の際、背伸びして買ったMDはなかったことにしたい)イヤホンはソニーの、それでも2000円くらいのものを長らく使っていた。

 

それから時は経って、iPhoneユーザーになるとともに付属のイヤホン→AirPods Proを使用するようになった。

 

AirPods Proはとにかくすごい。ノイズキャンセリングは娘の泣き声から逃避させてくれるし、外部音取り込みは散歩の際に程よく騒音をくれる。

ただ、汗っかきで異物感を感じやすい私にはカナル型は合わなかった。前述のイヤホンたちは全部インナーイヤーだ。

 

Proの操作感で、フィット感が程よい第3世代は私の好みであった。これで今は深夜ラジオの番組そのものを楽しみたいし、より気軽に長時間にラジオ中継を楽しみたい。

 

タイトルのAirPodsよりも思い出話が中心の駄文でした。