山田哲人選手プロ初出場の試合の話
ヤクルトスワローズ優勝おめでとうございます。
ヤクルトの主力、山田哲人選手の1軍初出場は2011年11月3日の対中日、クライマックスシリーズ第2戦であった。ルーキーイヤーかつ、レギュラシーズンの出場がない中での大抜擢だ。
当時大学生の私は、この試合を母と見に行った。
この時期は大学祭が行われるため授業がなく、大学のある関西から地元の愛知まで帰ることにしていた。その折、母から「チケット取れたら見に行く?」とお誘いがあった。
・私がマザコンであること
・私が野球好きなのは母の教育であること
は、いずれ書きたいこととしてここにメモしておく。
中日ファンの私たちはレギュラシーズンよりも盛り上がるナゴヤドームでウキウキしていた。グッズショップではセリーグ優勝グッズを何かしら買った気がする。
試合開始前、ヤクルトのスタメン発表が行われた。”1番山田”2人共、「え 誰?」となっていた。(他球団とはいえドラフト1位の選手に対して大変失礼であるが。)
小川監督は奇抜な采配をするなあと思ったものである。その奇抜さは試合中にもあった。この試合は7回までヤクルト石川選手、中日チェン選手の好投もあって0点進行であったが、8回表、ランナーもいないに石川選手に代打の飯原選手を起用。
私は場内アナウンスを聞いて、「え なんで、ラッキー」と母に話したと思う。チャンスでもないのに好投の投手を変えるのは、以降の守備も考えてあまりないことだ。
しかし、飯原選手の打席結果はホームランだった。
これが決勝点、ではなかったが、奇抜な采配、奇抜な結果にワクワクよりもモヤモヤが心に残る試合であった。
翌年以降の山田選手の活躍は皆が知るところである。流行語にもなったトリプルスリーを達成、日本シリーズでは3打席連続ホームランなど超一流だ。
その活躍を見るたびにあの不思議な試合のことを思い出す。
野球観戦に行くと、勝ち負け以上に何か心に残ることがある。今回は山田選手の歴史を垣間見たと、すごいように言い換えることができるが、そうでない試合もある。
なにか思い返すたびにそういう試合について書きたい。