不便なことに趣を感じる話3

歩くこと、もこれに当てはまると思う。

 

私は愛知県在住で交通の便が良くない地域に住んでいる。そのため、日常の主な移動手段は車だ。通勤、保育園の送り迎え、スーパーへの買い出し、どれも車で行く。

 

たまたま、スーパーまで歩いていく機会があった。出かける瞬間まで、”寒そう…めんどくせー”と思っていたものだ。

実際に歩いてみると、なんか趣を感じた。体を動かす気持ちよさがそうさせていたのかもしれないが、こういう不便もあるものだと思った。

趣をどこに感じたのか考えてみると、普段は僅かな距離しか”靴を踏みしめて歩く”ということをしていないため、その感覚が楽しかったのだと思う。私のナイキのスニーカーは5年は使用していると思うが、大きな汚れがない。仕事の日は革靴だし、ゴミ出しはサンダルで行く。たまのスーパーも前述のとおり、車が地面との接地を担っている。

 

靴をすり減らしながら(大げさな表現だ)地面を歩く、という行動に懐かしさと、自分の足で移動するという満足を得た、という表現がしっくりくる。

 

散歩、という行動を主体的にしたことがないが、こういう感覚を得られる散策を散歩、というのだろうか。

私の1歳半の娘は、保育園では靴を履いて園庭で遊んでいる。ただ、まだ、家の周辺を歩いたことはない。もう少ししたら、娘とともに靴を踏みしめて散歩をしてみようか。

歩く楽しみをまさに体感し始めている娘に、新しい趣を教えてもらえるかもしれない。