今週のお題「赤いもの」から、赤色が怖かった話

今週のお題「赤いもの」

今32歳の私は、小学2年生の頃まで赤色が怖かった。

はたらく自動車の仕掛け絵本には、救急車やブルドーザー、消防車が描かれていたが、その消防車と赤い炎がとても怖かった記憶がある。赤色を怖がるようになった原因がこれかはわからないが、幼稚園に入った3歳の頃にはもう怖かったようだ。

就学前では、母方の実家の洗面台にあった、電動歯ブラシの赤い充電ランプが怖かった。日が暮れると洗面所ではその赤色だけが光り、非常事態であるような雰囲気を醸しだしていた。今思えば本当に小さな明かりであり、どうということはないのだが、夜、には洗面所はおろか、その手前の廊下ですら通りたくなかった記憶がある。怖い記憶は鮮明だ。

小学生になると、赤色鉛筆を使うようになった。その赤色鉛筆は、文字通りの”赤色”か”朱色”を使うことが許されていて、私は常に朱色を使っていた。やはり赤色が怖かった。一方でその朱色はノートに描かれると、赤色よりも少し薄掛かって見え、「重要な箇所なのに見にくいな…」と思ったものだ。そういう思いが強くなってくると、自然と赤色の鉛筆を使うようになっていった。

その頃から、赤色への恐怖もなくなってきたんだと思う。

 

私は、その小学2年生頃まで、音楽、とりわけ、クラシック音楽を聞いたときに共感覚で色を感じていた。夜、父が寝る前にCDを再生していたのだが、そのときに「うーん、これは青だな」とか「これは色がないな」とか話をしていたのを覚えている。

しかし、今ではその色を感じることはできない。色を思い描こうとしてもCDのジャケットやBGMとなっていたドラマのシーンが出てくるだけだ。

この共感覚が何か才能であって、赤色への恐怖もそれに付随する結果だったのかもしれない、と思うことがある。今となってはどうすることもできないが、自分の感覚や感触を大事にすべきだ、という教訓として私の中で生きている。