子ども用ハーネスの話

昨今話題の子ども用ハーネスを初めてみたのは2006年の夏、アメリカでのことだ。

 

高校2年生の私は、同級生の誘いを受けて、市の交換留学生に応募した。この留学についてもいつか詳しく書きたいことの一つである。なお、私は英語が全くできない。センター試験など大半は感であった。得られたのは英語が得意な友人である。後々大変助かることにはなる。

 

さて、ハーネスの話に戻る。交換留学先のアメリカ・デトロイト近郊の都市には、今で言えばイオンのようなショッピングモールがあった。私はホストファミリーに連れられて「MLBのTシャツでも買っていきなよ」と服を見ていた。

そんな中、アメリカに住む母親たちは小さい子どもにハーネスを付けていた。正直な話、”犬じゃないんだから… アメリカは雑だなあ”と思った。またこの感想については帰国後、私の母にも共有し、母もそれに同感した。「安全だけど、ちょっとね…動物みたいよね」

 

現在、私の1歳半の娘は、トコトコと歩くことができる。コロナの影響もあって外で歩くことは保育園を除くと殆どないのだが、家の中でも”どこに行くのか”不安だ。これを踏まえてハーネスをどう見るかというと、”付けたい”。

 

今、日本では子どもにハーネスを付けているのはおそらく少数派だろう。

2006年のアメリカ、そのショッピングモールしか知らないが、その時はハーネスを付けている人を多く見た。というより歩きはじめの子を持つ母親の大半が付けていたと感じるくらい見た。

やはりアメリカは進んでいる。日本人の感性も悪ではなく、正しいとは思う。ただ近年、日本も合理性を重視するようになってきたと感じる。

 

おそらく我が子にハーネスを付けるとしても、あと1年後の話になるかと思う。それまでにより認められるようになるだろうか。

 

子を持たない人にとって、子育ては楽に見える。私もそうだった。どう辛いのかは、一言では言えないが、仕事より辛いと感じるときも少なくない。これもまたいつか書きたい。

いろいろなことが認められる、というより、他人のことには口を出さないような世の中になるといい。迷惑をかけない範囲なら、みんな自由に生きたいよね!という駄文でした。