小笠原孝コーチにサインを貰った話

元中日の投手、現中日投手コーチの小笠原孝コーチにサインを貰ったことがある。

2010年4月25日、甲子園での中日×阪神戦のこと。

私は当時大学生で、野球を殆ど見たことがないという友人2人と甲子園にでかけた。1人は大阪出身で野球はよく知らないけど、なんとなくバファローズファンと言う人。もう1人は中国地方出身でそもそも野球に興味がないという人だった。

席は3塁側のアルプスを私が予約したように思う。外野・1塁側は濃い阪神ファンが多そうで怖いし…という理由だ。

実際にはただ観戦しているだけならなにも怖くないのだが、私にとっても初の甲子園ということもあり、だいぶ警戒をした選択となった。(ちなみに今の所これが私にとっての唯一の甲子園での野球観戦である。)

阪神甲子園駅の出口で待ち合わせて、いきなりチケットを配り、そのまま入場したように思う。また、目の前の伝統ある球場に、野球観戦自体に浮き立つ2人よりも私はソワソワとしていたと思う。

 

席について少しすると中日の練習が始まった。3塁側アルプスの前では小笠原孝選手とコーチがその左腕とバットでキャチボールをしていた。(コーチの名前は見ていなかったが、見事なバットコントロール小笠原孝選手の胸にボールを返していたのが印象的だった)

私はそこまで大きな声を出すファンではなく、静かに観戦を楽しむタイプなのだが、友人がいたことで気も大きくなり、思い切って「サインください」と叫んだ。小笠原孝選手は「あとで」と答え、後に網越しに私の手帳にサインをしてくれた。

いまでも大切にとってあり、大事な宝物だ。

ただ、それ以降1勝もすることなく引退をしてしまった。

大変勝手な思い込みであるが、私の”サインがほしい”というどこか汚い欲で小笠原孝の勝運を奪ってしまった気がして申し訳なく思っている。

 

この試合は山内選手のプロ初勝利や鳥谷選手の満塁ホームランなど見どころがたくさんあった。これらについては後日改めて書きたい。

 

プロ野球選手は偉大だ。サインという少しのメモ書きが誰かの宝ものになる。

たくさんの選手が引退するなかで、これを書きたくなった。