1歳半の娘が喋り始めた話

1歳半の娘が、言葉を覚えつつある。

 

妻を見ては「ママ」、私を見ては「オトット(お父さん)」と、基本的には見事にしゃべることができている。

しかし、これを逆に口にしてしまうことも多い。

 

私のiPhoneの待受は、妻と娘の写真である。妻が出かけているときにこれを娘に見せると妻を指して「オトット」という具合だ。

私はこれを”かわいい”と思うと同時に”アホか!”と思ったりもする。

 

私には妹がいる。また、実家にはメスの三毛猫もいる。

母と電話をするとき、娘・妹・猫の名前が別に似てもいないのにごちゃごちゃになることがある。我ながらアホ過ぎる。

ちょっと調べてみると、それらの人物(猫も含まれてしまっているが)を私の脳の中で同じカテゴライズしているようなのだ。

 

私の妹は、もう20代後半であるが、小さい頃からのいわば私の子分でもあり、一方で守らねばならない対象だ。

猫は、今年で8歳になる元保護猫で、こいつも守らねばならない対象だ。いつも私に”撫でてくれ”といってくる、かわいい、こいつも妹である。

娘は、当然、私が守らねばならない対象だ。娘に至っては保護責任すらある。

こうみると、私のアホな言い間違いにも一定の統一性があり、納得できる。

 

娘の中の母と父も同じカテゴライズなのだとすれば、これは嬉しい。育児の面では妻の負担が大きくなってしまっているが、娘は妻と同じ側面を持つ人として私を見ていると推察できる。

 

アホな言い間違いは私の血を引いてしまっていることから、仕方ない。娘に”アホか!”と思うときには、私自身をアホかと思うことにしなければならない。

お祖母ちゃんとマフラーの話

2010年の冬、お祖母ちゃんにマフラーを買ってもらった。

当時私はもう大学生になっていたが、マフラーなど首に巻き付ける衣類が苦手で持っていなかった。

お祖母ちゃんの家に遊びに行ったとき、「寒いねー。え、あんたマフラー持ってないの!?買ってあげる!」となったわけだ。

私は、”身に付けないかもな…”と思いつつも、お祖母ちゃんの熱量に押されて家てもらうことにした。

そして、近くのスーパーの2階にある衣類売り場で、900円ほどの緑色のマフラーを買ってもらった。

 

当時、お祖母ちゃんは70歳ほどだっただろうか、足腰が辛いようで、買い物もあまり行けていなかった。それでもこのマフラーを買い与えたかったようだ。足を引きずりながら、そしてマフラーも引きずってしまいながら、レジまで歩き、会計してくれた。

マフラーは私の想像よりも暖かく、この緑色のマフラーを愛用することになった。

 

お祖母ちゃんは翌年の夏に亡くなった。図らずも形見となった緑色のマフラーは10年以上経った今でも愛用している。全体が毛玉だらけになり、ヒゲや髪が引っかかってしまうが、どうにも捨てられず、着用してしまう。

 

毎年マフラーを出すとき、マフラーを引きずりながらレジに向かうお祖母ちゃんの後ろ姿を思い浮かべてしまう。

 

一方で、結婚後、妻にもネックウォーマを貰ったことがある。こちらもこちらで胸周りがスッキリとして使いやすい。寒がりな私はこちらを家の中で、マフラーを外で使用している。

 

お祖母ちゃんに買ってもらったマフラーは、今後どうなることだろうか。私が自発的に捨てることはできないだろう。

もし私がおじいさんになって、棺に入ることがあれば入れてもらうのがいいだろうか。

ただマフラーを出しただけなのに深く考えてしまった、という話でした。

リタイア後にシーズンシートを買いたい話

私は今年、32歳になった。もうオジさんなのだが、ささやかな、将来の夢がある。タイトルのとおり、リタイア・定年後にプロ野球のシーズンシートを買うことだ。

 

シーズンシートは、いわば野球観戦の”年パス”で、中日ファンの私であればナゴヤドームに毎回行けることになる。だいたい年間70試合、値段は15万円ほどだ。

決して安い値段ではないし、チケットを買って観戦に行くスタイルと比べてもそこまで大きね値引きもない。

ただ、”プロ野球が行われる球場に、その年、自分専用の席がある。”という状態に憧れてしまう。

 

値段の話だけであれば、サラリーマンの私にとって、15万円は払える金額だ。ただ、時間がない。

リタイア後であれば見に行く時間も取れるだろう。

 

この話を妻にしたことがある。「いいんじゃない」と、寛容だ。妻の父も中日ファンで、この話を聞いても怒られることはなさそうだ。(ただ義父は70歳程になっても労働に勤しんでおり、時間はなさそうだ。労働を生活の糧にしているようで、尊敬してしまう。)

 

心配なのは体力である。もともと運動神経が良くない私は、大学時代の体力テストで”50代”の判定を受けたことがある。そこから10年、もう怖い。

体力がなくなり、毎試合出かけることが辛くなるかもしれない。それがこの夢を叶えるにあたっての最大の懸念だ。

 

体力がなくなっていたら、どうしようか。代わりに、有料のCS放送に加入して毎試合テレビで見ることにしよう。…現実的すぎる。ただそれも楽しそうだ。

いますぐにでも加入はできるが、やはり見る時間がない。リタイアが楽しみだ。

長い試合が好きな話

昨今、試合時間の短縮を良しとしているプロ野球だが、私はダラダラと試合時間が長い試合が好きだ。

 

私は中学生の頃、よく深夜まで勉強していた。先日の話でも書いたようにガリ勉だった。イジメられないために、何かしらで学校で認められようとしていた、ということと、当時は母親が厳しかったこともあって、成績がいいことがアイデンティティというか自分を形作っていた。

勉強中は無音で集中したいのだが、息抜きには部屋のラジカセでラジオを聞いていた。当時部屋にテレビはなかった。

そのラジオは基本的にはトークだったり音楽番組だったりしたのだが、ごくたまに夜の11時、12時まで野球中継が続いていることがあった。そういうときはウキウキした。”自分しか起きていないと感じるような深夜に、華やかな野球の試合が行われていて、それをリアルタイムで聞ける、底にいるように感じる”のがたまらなく楽しかった。

中日ファンの私だが、そういう試合はどこのチームのものでも楽しかった。疲労しながら勝利を目指す姿を実況がアナウンスする。選手の懸命さが伝わってくる。そんな状況にはチームへのリスペクトではなく、選手個人個人への応援をしたくなるものだ。

 

最近は環境への配慮などから試合時間が短くなっている。またコロナ禍でそもそも延長が行われない。(今行われている日本シリーズは別だ。)

時代の変化とともにプロスポーツも変わっていく。これも1つの変化として楽しめるおじさんになりたい。と言いつつも、たまに起こる長時間の試合にはワクワクしてしまう。という駄文でした。

八方美人で生きている話

私は八方美人だ。

 

私は企業の就職面接や、業務など初対面で会う人との対応がうまい。

八方美人のコツは2つある。

1つ目は自分をよく見せたいという願望があること。これはプライドが高い、に近いと思っているが、それに加えて”上っ面”だけよく見せればいいや、という面倒くさがりな性格を持ち合わせていることが必要だと思う。

その場しのぎでしかものを考えていない、ということも八方美人には欠かせない。

 

2つ目は相手が喜ぶことを第一に考えること。相手が言いたい悪口や愚痴に賛同して、その対象が自分だったり自分の所属する組織であっても相手の気持ちになって話をすすめることが大事だ。

 

八方美人な性格だと、人と深く仲良くなれない。1つ目の”上っ面”で、ずっと生きている気がしてしまう。

 

私の妻も八方美人だ。私が知る限り、本当の性格もとても温かい人だと思っているが、それ以上に対外的な態度は美しい。そんな自分に似た部分を持っている人を好きになったことも、私がプライドが高く、自分が好きな現れなのかもしれない。

 

今1歳半の娘には、八方美人になってほしくない。正確にはなってもいいが、自分を曲げず、人目を気にする人生を歩んでほしくない、というところだ。

だんだん言葉数も増えてきている今、できるだけ娘を否定せず、色々やらせてあげたい。が、わがまま、大声から逃げることを第一に考えてしまっている。娘、ごめん。本当はこう思っていたんだ、と大きくなったら伝えたい。という記録をしたいだけの駄文でした。

不良に助けられていた話

私は中学生時代、いわゆるガリ勉だった。

中学1年生のときからメガネも掛け始め、イジメの対象になっていたとも思う。

ただ、私は近所の不良、Yくんに助けられていた。

 

Yくんの家までは約50メートルくらいの激近で、小学生低学年頃までよく遊んでいた。高学年になるとYくんは学校の、いわゆるカースト上位層で、私とは違う世界に行っていた。

中学校の入学式直前に開かれた6年生を送る会で、たまたまYくんと久しぶりに話す機会があった。そこで、「入学式一緒に行かない?」と声をかけた。

Yくんは何も気にしない様子で「いいよ、朝ピンポン押してな。」と言ってくれた。

とても嬉しかったし、とても心強かった。

 

それから中学3年の春頃まで一緒に通うことができた。

私はこのYくんに守られていた。特段、イジメられることも先輩たちに目をつけられなかったのも、私が”Yくんと一緒にいるヤツ”になれたからだった。

Yくんは本当は私みたいなダサい、ガリ勉と一緒に通うのは嫌だったかもしれない。でも昔のよしみを無下にもできない、そんな複雑な優しさ出会ったのだと思う。

そう思う一方、Yくんも一定、私を必要としていた可能性もある。

私は先生方からの評価が抜群に良かった。ガリ勉であっただけに成績はよく、服装や素行も問題なかった。クラス委員をやっていたこともある。

Yくんは度々職員室に呼ばれていたようだった。ただ先生方も、”山本と登校してるよな…根はいいやつなのかも”という印象を持ってくれていたのかもしれない、と私はポジティブな推察を這わす。そう思いたい。

 

Yくんとの登校時間は無言であることも多かった。本当に感謝だ。

 

当時は携帯電話もなく、今は連絡先もわからない。ただ、今、感謝を伝えたい。

野球帽でおでかけしたい話

中日ファンの私は野球帽、いわゆるキャップをいくつか持っている。

・ドラゴンズブルーのCDマークのもの、

・2012年守道時代の赤いCDマークのもの、

・白がベースのCDマーク(サマーキャップ)のもの、

中日以外にも

ヤンキースのNYマークのもの、

NFLペイトリオッツロゴマークのもの、

・その他ノーブランドやお土産でいただいたもの複数

たくさんある。

 

しかしその中でおでかけに使えると感じているものは”中日以外にも”より下に書いたものだ。

 

うまく言葉では言い表せられないのだが、NPB、日本のプロ野球のキャップをかぶっておでかけするのは勇気がいる。なんとなく”野球少年”や”ガチなファン”のものという印象がある。

私も本当は中日のキャップをかぶっておでかけしたい。

 

(ただ、以前広島に行った際、街中の人がカープのキャップやTシャツを普段着として使用しているのを多数見たことがある。この感覚には地域差があるのかもしれない…広島の人は格好いいな、と感心したものだ。)

 

気軽に身につけるもの、という自分への意識付けのためにもスーパーへの買い出しにでもかぶっていってみようか。